室伏鴻、肉体の思考
1960年代に活動を開始し、78年にフランス進出、以来世界各地を旅しながら創作を続けた舞踏家・室伏鴻。
身ひとつで臨む生き様から「孤高の舞踏家」と称される一方で、2003年に若手ダンサーによるユニット“Ko&Edge Co”を立ち上げ、2011年からメキシコで客死するまでの5年間は「ヨコハマダンスコレクション」のコンペティション審査員を務めるなど、数多くの若い振付家やダンサーと交わり、語らい、影響を与え続けました。
(2011年〜2015年のコンペティション審査講評はこちら)
ヨコハマダンスコレクション30周年を記念して、20周年記念誌に室伏が寄せた激励の文章「若い振付家に向けて」をここに再掲いたします。
ダンスは、上手に構成し、組み合わせたりしても面白くならない。逆に、構成の下手なダンスでも、ダンサーの身体に力があれば見応えのある面白いものになる。
ダンスの魅力、それは身体の変容する/させる力だ。トランスフォーメーション、縁 Edge で、それは限りなく死の快楽に接している。わたしたちは踊り、そして狂う。踊りは自己を分断する、その亀裂と破砕、破滅し陶酔する力のなかで、身体の、闇のリズムと出会う。そこが創造の根=源だ。J-L・ナンシーが書いている。「ひとつの極限に達したダンスが頂点で……熱狂状態のなかに投げ込まれ、投げ捨てられる(熱狂=フレネジーという語は、狂気、動揺、興奮、法悦、放棄などを喚起する……)。熱狂状態のなかで身体は同時に、最も内密な、そのリミットに触れるのかもしれない。……完全なもの、統合されたものとしての身体は解体され、みずからの所有権が剥奪される状態へと触れるのかもしれない。この身体はある痙攣状態を踊る、この痙攣のなかでダンスはダンスの外部へ迸り出る。ダンスはいわば野蛮さの、その究極的な運動において、ダンスそのものを奪い取られる。」
ダンス、それは表現の死=身体の〈零度〉に立つことなのだ。それは絶えざる現在形の、瞬間の出来事である。揺らぐ境界の、〈いま・ここ〉に身をさらすこと、それは事件であり、一つの〈実験〉である。ソロの身体が「複数の異なる言葉と身体」に分裂し、その分断によって語る〈未だ名のない、非人称の身体〉の冒険となるだろう。
表現を超えて、その絶えざる革新であり、別の、新たな生を生きること。そのとき、私の身体はすでにひとつではない。私たちが踊るとき、私の身体、それは無数のポジションで、無数の「批評 critic と臨床 clinic」を生きている。
出典:『横浜ダンスコレクション20年史 1996-2015』(2015年、企画・発行:横浜赤レンガ倉庫1号館)初出。『室伏鴻集成』(2018年、河出書房新社)352-353頁所収。
室伏鴻の日記 Courtesy of Ko&Edge.
室伏鴻はまた、比類なき書き手でもありました。日々細やかに綴っていた文章には、ダンスに対する鋭く深い思考が刻まれています。苛烈なまでに自問を繰り返し、掘り下げ続けていく——その膨大な手記の中から、創作への眼差しが垣間見える一篇をご紹介いたします。
1986年3月にスタジオ200で行われた公演『鴻 漂泊する肉体』のパンフレットに掲載された文章です。当時室伏は38歳。本公演のチラシには、同年1月に逝去した師・土方巽への追悼の言葉が記されていました。
作品へと至る過程で 多くの未熟な野生が刈りとられ またその一回性の残酷な瞬発力や生成してくる力の勢いや偶発的な諸力の結びあう直接的な力のスリル——スペクタクルからその生成のスリルとせつなさをとったら何がわれわれに真に出会える場をつくるのか——までをも別のくりかえす技術的修練のなかへと昇華してしまうのだが、僕はそれら諸力を失わぬまま踊る方法を考えねばならぬ。
それは、作品から偶発性を排除して、より確実な統御された力の配列へと向かい 作品を多くの眼差しへの見慣れたものと為すのではなく その逆にすでに 私の踊るからだにとって慣れ親しんだものをも 未だ見ず知らずの作品を生み出す力として活用すること。私が踊る道にあらかじめ何事が起こるのかわからない躓きの石を仕組んでおくこと。否応なしにその場で 統御しようとする私の思考を奪い 直接的に 私のからだに蓄積され 眠っている諸力の圧倒的な加勢を要求するような状態へと自身のからだを追い込むこと。
すなわち 危機を要請すること。
そこでその時、この錯綜する肉体から 潜勢する多様な まだ僕自身にとっても未開である力がよび出されてくる。その力の生成の刹那の みずみずしさ その端がかる 肯定する力に殉ずること。
—— 最低限度の枠組しか与えないこと。
—— 外部的な関係を導入し、流れに切断的に作用させること。
—— 未了のものとすること。
ガラスというマテリアルへの 未知という状態に立つこと。あらかじめ知っていることから わざと遠ざかる。(それが どこの地点か 確定することのできない——)
危険な目に 遭うこと。うき身になる。
記憶を粉砕した地点から はじめよう。
ガラスをも 私をも ガラス以前の 私以前の すべての手前にある状態とする。それが板ガラスであったら アリスのように何回も通過しようとして失敗し 通過に失敗した記憶を 別の欲望として回収するか あるいはそれをひとつの楽器へと 又は棺室へと 又は描くことの可能な壁・キャンパスへと 関わりによって変性することの その過程/工程がそのままに新しいコレグラフィの方法として提示される。そして更にそのうえで それらの行為 新しい身振りの過程の任意の地点で 任意のタブローが いくつもの無限の隣りの生成の 断続として切りとることが可能であり その切断を 快楽とすること。無限の次への可能性をそのまま無限定にコレグラフィの方法とすることができる。なぜならそこに 無限の隣りへ組み合わされる開かれた流れ/踊り手が 彼自身の〈危険〉な 運を チャンスを 奇縁を 無垢なままに その時その場で生きることが可能だから——。
1985年 Parisで
出典:『鴻 漂泊する肉体』パンフレット(1986年、企画・制作:散種、スタジオ200)初出。『室伏鴻集成』(2018年、河出書房新社)67-68頁所収。
室伏鴻『鴻 漂泊する肉体』(1986) Courtesy of Ko&Edge.
室伏が書き残したテキストの一部は、『室伏鴻集成』(2018年、河出書房新社)や、『Ko Murobushi Workshop memo』(2024年、一般社団法人Ko&Edge)に収められています。
その元となる手書き原稿や、大の読書家であった室伏の蔵書、その他一次資料は、東京・早稲田にある「室伏鴻アーカイブ Shy」で実際に手に取れるほか(要事前予約)、オンライン上でもその充実したアーカイブの一端に触れることができます。ぜひお立ち寄りください。
https://ko-murobushi.com/
〒162-0041 東京都新宿区早稲田鶴巻町557
お問い合わせ:k_kunst_watanabe@yahoo.co.jp
本記事の作成にあたり、お力添えくださいました一般社団法人Ko&Edgeに心より御礼申し上げます。掲載文章・写真の無断転載及び無断使用は禁止いたします。
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東京生まれ。ダンサー・振付家。1969年土方巽に師事。72年“大駱駝艦”の創立、旗揚げに参加。74年舞踏新聞『激しい季節』を編集刊行、同時に女性舞踏グループ“アリアドーネの会”をプロデュース。76年福井県に“北龍峡”を築き、舞踏派“背火”を主宰。78年“アリアドーネの会”と“背火”を率いてのパリ公演《最後の楽園—彼方への門》での成功を皮切りに、81年、82年と欧州ツアーを行い、ヨーロッパに舞踏を認知させる。
88年よりデュオ活動を開始、2000年からは日本での活動も再開し、ソロ作品、Edgeシリーズは、インプルスタンツ・ウィーン国際ダンスフェスティバル(オーストリア)、モンペリエ国際ダンスフェスティバル(フランス)など多くの国際フェスティバルに招聘された。その後日本人若手ダンサーによるユニット“Ko&Edge Co”を結成し、数々の話題作を発表。またソロ作品《quick silver》《Ritournelle》はヨーロッパ、南米をはじめ世界各国で公演された。ジンガロとの共同制作《Le Centaur et L’Animal》、最後のソロ作品《Faux Pas》、振付作品《墓場で踊られる熱狂的なダンス》も各地で大きな成功を収めた。
また、インプルスタンツ・ウィーン国際ダンスフェスティバル、アンジェ国立現代舞踊センター(フランス)、ヴェネチア・ビエンナーレ(イタリア)をはじめ世界各地で継続してワークショップなどを行い、後進の指導においても高い評価を得た。69年に土方巽の門を叩いてのち、78年のフランス進出、そしてメキシコで倒れるまでの46年間、漂泊する孤高の舞踏家として、多くの人々に衝撃と新たなる発見を与え続けた。
Photo by Mauricio Marino, Courtesy of Ko&Edge.