身体と自然への振付、共鳴するダンス
— 環境パフォーマンスの視点から —

『ditch』:「iLand」のパフォーマンス
2019年6月23日、Sunrise Pier 35 East River Esplanade(写真:吉田駿太朗)

 世界が直面している緊急の課題である環境問題、そうした状況下における人間と生物、無生物、物質との複雑な絡み合いに目を向けた振付作品(メッテ・インヴァルツェン Mette Ingvartsen、サラ・ヴァンへ― Sarah Vanhee、クレメント・レイズ Clement Layes、セルジウ・マティス Sergiu Matisなど)、あるいは土着的なコスモロジーを題材とするアマンダ・ピニャ Amanda Piñaの作品が、近年の舞台芸術の中で新しいアプローチの振付として注目を浴びている。特に人間以外の主体性という概念に踏み込む場合、一般的には、人間以外の主体的運動とその感覚、人間と人間以外の存在とのコミュニケーション、人間本位に行われてきた知識形成の見直しなどが掲げられる。¹ 本エッセイでは、欧米における環境ダンスの出現と振付の関係、環境パフォーマンスの視点から、新たな振付概念について紹介する。

I. 環境ダンスと振付の出現

 「環境演劇」² の創始者がリチャード・シェクナー Richard Schechner であれば、「環境ダンス」はどうであろう。その一例として、振付家アンナ・ハルプリン Anna Halprin を挙げたい。ハルプリンは1950年代〜60年代にかけて、夫のローレンス・ハルプリン Lawrence Halprin が設計した森の木々に囲まれているダンス用の屋上デッキで身体を鍛錬している。³ それは端的に言えば、周囲に反応する身体の意識を通じて、自然界に立ち入ることを意味する。また、当時の公害などによる環境悪化への関心の高まりを考えれば、環境ダンスに、社会環境への領域の拡張を見るのは当然だろう。ハルプリンの環境への意識とそれを表出するための訓練は、環境の中で自分自身を日常と異なるように位置づけることを目的とし、身体的な体験とその実践が強調されている。⁴
 2000年代には、ダンスと環境の関係性において身体を環境に馴染ませるだけでなく、環境の様々な現象に目を向け、「コンポジション=組み立て」を考案する振付家も現れる。例えば、振付家ジェニファー・モンソン Jennifer Monson は、「Interdisciplinary Laboratory for Art Nature and Dance (iLand)」の主宰者で、領域横断型のプロジェクトを手がけている。ニューヨークのハドソン川の周辺やコミュニティガーデンで開催される「iLand」のワークショップやラボラトリーでは、ダンサーだけでなく、参加者がダンススコア(主に箇条書きで構成される指示書)を用いながら、都市の生態系へと入り込んでいく。この実践は参加者を誘導する次の二つの層をもっている。一つ目は、ハルプリンと同様に、即興の実践を用い、人間が動植物を含めた存在や環境とどのように繋がっているかを認識し、そのプロセスへの理解をもたらすこと、二つ目は、環境と人間が相互に関係をもつことを認識する中で、複数の振付の絡み合いへの気づきを経験し、身体化される「参加」と「感覚」に巻き込むことにある。⁵ 「iLand」は都市をワークスペースとすることで、環境に人間を配置し直すというよりむしろ、環境と身体の相互作用を促進し、環境が身体を誘導する点で、振付的な側面が浮き彫りになる。つまり、ダンススコアは、「チューニング」という技法のもと、例えば川のせせらぎの音や波の動き、遠くから聞こえる鳥のさえずりや飛び立つ動作など、視覚的、聴覚的に身体を誘導することで、人間と生物・無生物のコンポジションの複雑な絡み合いへの問いに応えるものにもなりえるのだ。
 環境ダンスはそのフィールドを劇場外へと拡大し、都市で主役とはなりにくい小さな主体―有機物、無機物のコンポジションをも感覚するだろう。ダナ・ハラウェイ Donna Haraway の言葉を借りるのであれば、「人間と人間以外の多様なプレイヤーに着目する」⁶ ということなのだろう。

II. ダンスと環境への意識の交差、その振付の視点

「Feral Encounters」:ジャーナリストのカミラ・ノブレガのワークショップ
2023年9月11日、Lake Studios Berlin(写真:吉田駿太朗)

 2023年9月にアレックス・ヴィテリ・アルトゥーロ Alex Viteri Arturo と私が開催したベルリンのレイクスタジオでのシンポジウム「Feral Encounters」、そこでの基本的な問いから始めたいと思う。

 「ダンスと環境への意識の交差はどのような実践を生み出し、またその意識を見出す実践はどの ように振付概念を広げるのだろうか。」⁷

 振付家、美術家、活動家、ジャーナリストを招き、その実践の共有、議論をする中で、特に大きな関心事として挙げられたのは、様々な文化的背景から見出される複合的な自然への視点である。というのも、動物、植物、菌類など、人間を取り巻く様々なものを中心に据えたり、振付を生物・無機物自身に委ねたりする実践は、生物である私たち人間自身が、近代化する中で置き去りにしてしまった感覚を再構成すると同時に、人間中心のアプローチを主とする既存の舞台芸術を批判する視点を持ち込むのである。ダンスと環境への意識の交差点は、「存在のエコロジー」⁸ を身体的に考察するだけでなく、人間本位の視点を何度も位置づけ直すことによって構成される生物・無機物との関係性を重視したアプローチを探求している。
 では、その関係的なアプローチはどのようなものであるのだろうか。例えば、振付家アンゲラ・シューボット Angela Schubot と振付家ジャレッド・グレイディンガー Jared Gradinger は 2009年から共同で作品を創作し、植物の存在様式とそれらの生命体の機能的な働きに焦点を当てている。『Yew』(2018)、『Yew outside』(2018)、『The Nature of Us』(2019)の作品は、劇場や植物園で上演される。デュオ作品『Yew』では、植物に装着した感知センサーを使用し、それに接続されたスピーカーを設置する。舞台上では、パフォーマーは植物に反応したり、植物を飲み物に混ぜて飲んだり、煙草にしたりすることで、植物と身体の関係性を構築する。また、『Yew outside』では、植物園の回遊パフォーマンス、そして『The Nature of Us』では、植物を使用せずに植物の代謝と代謝物と身体の関係を探っている。特に、グレイディンガーはベルリンのウーファースタジオの敷地に「Impossible Forest」というコミュニティガーデンをつくり、その庭をつくるアプローチと同様の手立てで、自然の知性と共に創る振付の在り方を模索している。二人はイチイ、クローバー、コケ、ナラ、ブナ、シダなど、植物のゆっくりとしたリズムに耳を傾け、多層的に聴くことの実践を通じて、植物のコンポジションを紐解いていく。それは、脳や筋肉がないかのように、あるいは前面がなく360°焦点が合っているかのように、あるいは存在から行動への移行や、与えることと奪うことの区別がなく、ただ循環しているかのような感覚⁹―これが植物のパフォーマンスの構成であり、振付だと言えるかもしれない。
 『Yew』から『The Nature of Us』に至る変遷の中で、植物の内部の動きを聴かせるための感知センサーとスピーカーは、その後、植物園でも使われ、植物体験をするための技術的な条件が人間の知覚世界を支えつつも、その人工性や拡張される感覚の奇妙さをもたらす。また、植物を使用しない『The Nature of Us』では、人工物を生命体に置きかえ、劇場=庭と見立てることによる社会的・技術的条件に目を向け、劇場を構成する要素と庭の環境を結び付ける。こうした振付は、植物を人間のモデルとして擬人化するのではなく、植物の動きを通じて、肉体を植物化させる。それは、人間の中に潜在する植物を目覚めさせ、植物のことを気にかけ、関与する存在論の中心にある「人間以外の存在」を受け入れる。¹⁰
 この二人の植物へのアプローチは、振り付けようとする植物を、「野生としての自然」と「庭に囲われる自然」の間に位置づけ直し、パフォーマーが、どの自然にどのような反応をすればよいのかという身体の困惑や混乱を引き起こすことであろう。こうしたアプローチは、「野生としての自然」と「飼い慣らされる自然、あるいは家畜化される自然」の間で何度も視点を位置づけ直すような動き、そこから生じる感情の動きとともに、生物・無生物の新たな理解や共存の在り方、存在論の根本的な書き換えを可能にしているのだ。

III. 踊るための環境、実践への課題

 冒頭で述べた現代の様々な振付家は、環境パフォーマンスの視点から、気候変動、種の絶滅、あるいは植⺠地化の問題を、人類を含めた集団として、それ以上に生物・無生物の問題として受け止めているとも言えるだろう。その一方で、これまで紹介してきた実践は、よりミクロなパフォーマンスに目を向けつつ、生物・無生物を含む踊る主体の実践を採用している。しかし、こうした挑戦は、身体が、生物・無生物のもつ時間的状況の外に置かれることで、緊張関係をもたらし、両者の間に豊かな時間軸を作ることができなくなることを現実化させていると言えるだろう。
 最後の事例を紹介しよう。振付家フアリ・マテウス Huari Mateus とロムアルド・クルネル Romuald Krężel は、『To See Climate (Change)』(2020)の創作プロセスにおいて、観葉植物とのコラボレーションに多くの困難を見出した。観葉植物は根付きで鉢に植えられているので、舞台芸術の手法に適合していると彼らは述べている。これによって初めて、人間ではないパフォーマーと共に様々な公演会場に移動することが可能になったのだ。しかし、問題のひとつは、パフォーマーとしての植物がブラックボックスで寛げないことだったし、しかも、出演後、帰宅できないことであった。それで、毎日、マテウスとクルネルは生命維持のために水をやり、日光の当たる部屋に植物を移動してやらなければならなかった。劇場内の環境(空調、温度、湿度)は、植物が適応できなければ、枯れる原因となった。つまり、劇場自体も植物に振り付けられるとしたら、それは全く異なる、対応可能な建物を想起しなければならないだろう。

*

 振付概念は、現代に至る「動きの構成」から、振付家ウィリアム・フォーサイス William Forsythe の述べるような「動きとは関連のなくなる事物の構成」、そして「デザインする選択や思考の記述」へと移行し、拡大してきた。このような観点から、今や振付は様々な現象に適用・応用され始めている。同様に、生物・無生物の振付においても、その振付の意味が必ずしも人間のスケールに沿った動きと具体的な関連性をもつことなく、「振付」を考えることが可能となる。例えば、私の関心のある微生物の菌類も、環境パフォーマンスの主体に選ばれるかもしれない―日本酒を作る酵母がどのように発酵の音を奏でるのか、汚染した土壌の中にある菌糸がどこに、どのように伸びていくのかを決めているように、そうした極小の振付に誘導される感覚や知覚の再編を通じて、身体と自然のリズムが共鳴するのではないだろうか。
 ダンス研究者タマラ・アシュレイ Tamara Ashley の述べる「エコロジカル・コレオグラフィー(ecological choreography)」¹¹ の提案には、場所と結びついたパフォーマンスが主に紹介されている。しかし、未来の振付概念は、振付のフィールドが一定の場所だけではなく、その場所が順次変更、更新され、また、生物や無生物の(不)可視で無秩序な身振り、不規則な動きに身を委ねたり、反応したりすることによって、新たな想像的な空間を常に開き続け、それぞれの場で、それぞれの時とともに地球環境と絡み合う物語=振付を実践していくことになるだろう。これらの実践で、環境パフォーマンスは、舞踊学、認知心理学、そして生物学など、各領域間を横断しつつ、現存の振付概念を拡張していくのである。





¹ 環境問題と結びつくパフォーマンスを語る上では、「人新世」、「人間種」、「コモンズ」という用語が結びついている点にも慎重にならなければならない。本エッセイではこの議論を割愛しているが、「II. ダンスと環境への意識の交差、その振付の視点」で、実践的な側面から私の立場を示している。

²「環境演劇」とは、演劇の制度の中にあるパフォーマンスが社会基盤とともに拡張されたものである。「環境パフォーマンス」は幾つかの文脈があるが、「環境演劇」から派生された造語であるだけでなく、この用語は新しい物質主義(New Materialism)、あるいは現代理論の影響を受けており、パフォーマンス全般の環境とその状況に焦点を当てた幅広い用語として用いられている。本稿では、ダンスの文脈で「環境パフォーマンス」を紐解いている。以下の文献を参照。Richard Schechner, Environmental Theater, New York, London: Applause, 1994.

³ Arde Thomas, “Stillness in Nature: Eeo Stubblefieldʼs Still Dance with Anna Halprin,” in Readings in Performance and Ecology, ed. Wendy Arons and Theresa J. May (New York: Palgrave Macmillan US, 2012),pp. 113‒124.

⁴ 他の例としてはボディ・ウェザー=身体気象やボディ/ランドスケープの実践も挙げられるが、即興の実践者、ダンス研究者アン・クーパー・オルブライト Ann Cooper Albright は環境への同調を有用な概念として提示し、ソマティックムーブメントの包括的な考え方、内的な身体的体験が強調される。オルブライトの提唱するエコロジカル・コンシャスネス(生態学的意識)とは、外側にあるものを意識する感覚を得るためには、内側に目を向けることが必要だと解釈できるだろう。この種の感受性は、環境との物質的な関係においては何も変化させない一方で、環境の中に異なるタイプのつながりや配置を生み出すと示唆している。Ann Cooper Albright and David Gere (eds.), Taken by Surprise: A Dance Improvisation Reader (Middletown, Conn: Wesleyan University Press, 2003), p. 261.

⁵ 例えば、モンソンは「Bird Brain」(2001‒2006)の⻑期リサーチで、「渡り鳥の遺伝子情報に、航空術が潜在的に組み込まれている可能性を知り、認識は新たなスケールへと広がった。また、六分儀、天球図、海の塩分濃度、風景の視覚的知識、天候や潮の流れの細かな読み取りなどを使用し、消滅しつつある航海術の技術や道具に魅了されるようになった。(…)私が入念に研究し、身体化された知識は、フィールドにいる生物学者にとっては当たり前のものであることを知った。サンショウウオを手に取って匂いを嗅いだり、葉っぱをこすって手触りや匂いをかいだり、鳥の鳴き声のリズムや距離感、水中の光の密度などである。これらへの意識は、振付や即興でやり取りされるものと同じである」という体験を述べ、領域横断的な理解が複数の振付への関与、そしてスケールの異なる知覚に巻き込まれることを示唆している。Kate Cachill, Carolyn Hall, Julia Handschuh, Elliott Maltby, Jennifer Monson and Meredith Talusana Ramirez (eds.), A Field Guide to iLanding: Scores for Researching Urban Ecologies (New York: 53rd State, 2017), pp. 13‒15.

⁶ Donna J Haraway, Staying With the Trouble: Making Kin in the Chthulucene (Durham: Duke University,2016), p. 55.

⁷ 2023年9月10日と11日の2日間に渡り、ジャーナリストのカミラ・ノブレガ Camila Nobrega、活動家プロモナ・セングプタ Promona Sengupta、振付家ジャレッド・グレイディンガー、振付家ロニ・カッツ Roni Katz、振付家シグマ・ザカリアス Siegmar Zacharias、美術家ユニ・ホア・チュン Yuni Hoa Chung などを招聘し、約 15 名の参加者とともに環境と身体を思考するための実践的なシンポジウムが開催された。公式ホームページ:レイクスタジオベルリン「Feral Encounters, a weekend by the Lake」https://lakestudiosberlin.com/event/feral-encounters-a-weekend-by-the-lake/(アクセス:2023年11月20日)

⁸ 2019 年からベルリンの公共劇場 HAU で開催されたレクチャーと討論シリーズの副題から引用している。舞台芸術における人間中心主義と、政治的なつながり、人間と自然の抑圧と搾取という条件をどのように是正していくのか、という問いを投げかけている。Maximilian Haas, “Perspectivizing Burning Futures,” The Drama Review 67, no.1 (2023), p. 68.

⁹ グレイディンガーとシューボットのインタビューを参照。Maximilian Haas, “Maximilian Haas in conversation with Alice Chauchat, Gradinger/Schubot and Jeremy Wade: How to Relate in Contemporary Dance?,” in How to Relate Wissen, Künste, Praktiken / Knowledge, Arts, Practices, ed. Annika Haas,Maximilian Haas, Hanna Magauer and Dennis Pohl (Bielefeld: Transcript Verlag, 2021), pp. 215‒222.

¹⁰ María Puig de la Bellacasa. Matters of Care: Speculative Ethics in More Than Human Worlds (Minneapolis: University of Minnesota Press 2017), p. 63.

¹¹ Tamara Ashley, “Ecologies of Choreography: Three Portraits of Practice,” Choreographic Practices 3/I,2012, p. 27.