東アジアにおけるクィア・ダンスについて語ろう

2024.12.28

題名から分かるように、東アジア地域では、コンテンポラリーダンスの発表、市場、制作において「クィア」について語られる機会は非常に少ない。その理由は、検閲や同性愛嫌悪の職場文化のためか、あるいは一般的に、組織に所属するプログラマーの中にクィア・カルチャーの擁護者が少ないためかもしれない。

東南アジアで唯一無二の存在であり、最も長い歴史を持つインドネシア・ダンス・フェスティバル(IDF)は、2024年の開催において初めて、クィア性についての公開トークを企画した。「The Mystical Gender in the Intersection of Artistic Stage and Daily Life:舞台芸術と日常の交差点における神秘的なジェンダー」と名付けられたトークには、インドネシアの実践者たちが登壇者として招かれ、クロスジェンダーアーティストの先駆者的存在であるディディ・ニニ・トウォ、若手のトランスジェンダーアーテイストのイシュヴァラ・デヴァティ、研究者のジョネッド・スリャトモコなどが参加した。IDFのハウス・キュレーターであるリンダ・マヤサリと共同キュレーターの一人である私がこの対話を紐解くうえで直面した課題は、議論の出発点をどこに置くかだけではなかった。クィア性の捉え方が、西洋と東アジアの諸地域でローカライズされた解釈の間で異なることも念頭に置いていたのである。

プログラムのステートメントには、「いかに、ノンバイナリー(非二元的性別観)を単なる表現ではなく、力関係、人種や階級にまつわる社会的現実を理解する上での批判的視点として広義的に捉えるか」¹と記されている。その問いを追求するうえでまずは、ダンスメーカーがそれぞれの出身地域の伝統と日々の実践の間で「クィア性」という用語にどうアプローチしているかを理解する必要がある。

イシュヴァラ・デヴァティ『The Synthetics of Hybrid Beings』 Courtesy of Indonesian Dance Festival.

ジャワ舞踊の歴史の中では、ジェンダー表現の流動性が認知されていると主張するトウォに対して、デヴァティは、公共の場および芸術分野における人間の平等とトランスジェンダーの身体に対する性差別への抵抗を提唱している。デヴァティのジェンダークィアに対する考えは、舞台芸術や社会全般でのクィアな身体の認知度と表出についての彼女の世代のLGBTQIA+コミュニティーの関心事と結びついている。東アジアにおいてジェンダーを超越する行為(通常、男性パフォーマーが女性役を演じること)は、ジャワ舞踊のレンゲルや、ベトナムのダオマウなどの民間信仰の儀式、さらには日本の能などの伝統的なパフォーマンスにおいて舞台上で行われているものである。しかし、それらが今も昔も「クィア」なパフォーマンスだというわけではない。

この文脈でクィア性やクィアダンスにアプローチするために重要なのは、アーティストがどのような異性愛中心的な規範やヘゲモニーを問いただし、覆し、それに対処していて、その中でどのような手段を用いているかに目を向けることである。そして当然「クィア」は性的嗜好を超え、社会構造や物事の構造に疑問を投げかる政治的な思考や行動を指す言葉となっている。²

プラムソドゥン・オクは、この地域において伝統舞踊をゲイやクィアなアイデンティティーと関連づけて再解釈した数少ない振付家のひとりである。アメリカ合衆国に移住したクメール難民の2世であるオクは、2015年に祖国に帰国し、ダンスを通じて若者のゲイコミュニティーをサポートするため、初のゲイダンスカンパニーNATYARASAをプノンペンにある彼のアパートで始めた。帰郷の目的は、女性のみによって踊られていたクメールの伝統舞踊(Robam Preah Reach Trop)に再び触れて学ぶためであり、ディアスポラ(離散)の文脈の中で自身の失われたルーツを辿り、それを受け入れることがそもそもの始まりだった。よって、いわゆる「ゲイアート/ダンス」と呼ばれるものを行うことは彼にとってさほど大きな関心事ではなく、むしろ1970年代後半のクメール・ルージュの大虐殺で根絶されたこの舞踊芸術を現代社会で扱うことのほうが重要であった。彼はそれが文化や社会の中で失われないように、地元の若手の才能の育成などを通じてその継続に尽力した。彼がコミュニティーの人々と関わりを再構築したのは、そのような活動を通じてである。パフォーマンスそのものでジェンダーを横断することではなく、生命の循環³や愛の物語を象徴するダンスの身振りを体現することが、先祖伝来の起源と再び結びついたそれらのクィアなアイデンティティーを宿すことであり、それが彼の社会との関わりの中での実践のクィア性そのものである。

アイサ・ホクソン『HOST』(横浜ダンスコレクション2017) © Yoichi Tsukada.

例えばフィリピン人アーティスト/振付家のアイサ・ホクソンは、『Macho Dancer』(2013)や『Host』(2015)など、性的労働の二元的なセクシュアリティーを問いただす作品群を手がけてきた。とりわけ『Happyland: Princess』(2017)では、西洋・白人中心的なグローバル経済における性差別や人種差別的構造を疑問視する。同作でホクソンとコラボレーターのラス・リグタスは、ディズニーが作った伝説の人物である白雪姫の身振り手振りやペルソナを再現した。そこで観客に非白人(この文脈においては褐色肌のフィリピン人)が白人性の体得を演じる様子に注目させると同時に、それがいかに美の基準を支配しているかを紐解いた。『Macho Dancer』と『Host』が性的化されたエロティックで観光的な視線を逆転させるとしたら、一方の『Princess』は世界人口の大多数が、いかに人種差別や性差別によって抑圧されてきたかを主張する。クィア的撹乱として、ホクソンは非白人のアーティストの身体に向けられる二元的な視線に絶えず抗い、アジア全域およびヨーロッパのアートマーケットにおける特権的な権力とそこにある差別について考察する、封建的ではない手段を提案してきた。

アイサ・ホクソン『Princess』(2017初演、ラス・リグタスとのパフォーマンス記録、Esplanade – Theatres on the Bay, Singapore、2019) Courtesy of the artist and Esplanade – Theatres on the Bay, Singapore. Photo by Bernie Ng.

韓国出身のアーティスト/振付家/シアターメイカーのチョン・グムヒョンと彼女のクィア性は、人間とオブジェクトDIYロボットの間の親密性とエロティシズムを先鋭化させながら、さらなるクィア的撹乱となるだろう。彼女は日常的なオブジェクトを集中的に扱い、振付の中でのアーティストの身体とオブジェクトとの関わりや、小道具との性行為などを演出してきた。『油圧ヴァイブレーター』(2008)、『7 Ways』(2009)、『リハビリトレーニング』(2015)や『Homemade RC Toy』(2019)をはじめとしたチョンの作品の多くでは、オブジェクトやテクノロジーを用いることで、芸術作品の舞台上ではあたかも存在しないものかのように扱われる、性的嗜好やフェチが前景化される。チョンの台頭は、10年以上もの間アジアの芸術コミュニティーに刺激を与えている。さらには、セクシュアリティや性的嗜好に反異性愛規範的にアプローチし、熱狂するための手段の多様性を示している。

ピンウェン・スー『Girl’s Note III』(2020、Taipei Fringe Festival) ©Lin HsuanLang.

台湾出身のパフォーマンス・アーティスト、ピンウェン・スーもまた、『Girl’s Notes』三部作(2018-2020)の中で男性目線への反抗をしている。『Girl’s Note I』では、作家自身が裸の状態でコーヒーを入れたり身体を伸ばしたり、「女の子であること」の作法を身振りで表現した。上演中は、常に「美の歴史」と題された本を頭に乗せてバランスを取り続け、女性の身体に対して向けられる視線および“批評”を再現した。『Girl’s Note III』では、マーサ・ロスラーの『キッチンの記号論』(1975)を彷彿させるキッチンのセットを使って食事の支度をし、BDSMのような手袋をはめ、食材をセックスのための道具や玩具として扱った。炊飯器に食材を入れた後、彼は服を脱ぎ、炊飯器を腹の下に置いて身体を橋のように傾けることで、炊飯器から出る蒸気で身体を燃やし、性行為を模倣した。

チョンとスーの両者は作品の中で、性行為、ジェンダーや欲望に関する社会規範に異議を唱え、アーティストの身体を介して通常の観客性を覆すことによって、性的マイノリティの声を広く行き届かせてきた。クィア性というのは、性を通じての脱植民地化と自己決定の実現と深く結びつくものである。性、ジェンダー、欲望が植民者によって規制されるか、あるいは異性愛規範的な枠に押し込められたとき、その枠組みや苦闘からの脱却がクィア的策略の出発点となる。

台湾では、過去10年にわたり⁴、カミングアウトとクィア性という概念が少数派の原住民族の脱植民地化にまつわる芸術的実践と関連付けて捉えられてきた。ファンガス・ナヤウやワタン・トゥシなどの原住民の振付家たちは、「展示」(ここでは展示という芸術形態、また「植民地展示会(博覧会)」を意味する)という概念に異議を唱える作品や批評を発表している。

アミ族のファンガス・ナヤウは、台北の国立台湾芸術大学(MoNTUE)を占領する『Masingkiay』(2017)を催した。「発狂する」という意味のタイトルがつく本作は、インスタレーション、ダンス、パフォーマンス、ワークショップの形式を融合することで美術館を社交の場へとクィア化させ、来場者に伝統舞踊のパフォーマンス、飲み物や対話の場を提供した。
 
同様にタロコ族の振付家ワタン・トゥシは、35周年を迎えた台湾国立劇場からの委託により『The Spi in 35 Years 』(2022)(Spiはタロコ語で「夢」を意味する)を上演した。2057年に劇場がどんな姿になっているかを想像したワタンは、ブラックボックスの特性を活かし、魚やタロイモなど部族に帰属するものを用いたパフォーマンス型の展示あるいは展示販売会を企画した。舞台中央には巨大な布が設置され、そこで彼自身が織り作業を実践した。

双方の“展示”において観客は空間を自由に動き回り、パフォーマーと遭遇して会話をし、一緒に歌ったり踊ったりした。両アーティストによるこれらの企画は、台湾に16以上存在する原住民に対するステレオタイプや、その歴史的、文化的抑圧と向き合うものであった。台湾原住民は、オランダ、日本、中国漢民族などによる植民地支配の長い歴史を経験してきた。政権や国家の体制は変化してきたものの、台湾が主権国家となるため闘争を放棄したことは今まで一度たりともない。

そのことを踏まえ、『Masingkiay』と『The Spi in 35 Years』は、島内や国際社会において原住民の歴史から抹消されていたものを再び取り戻し、ほんの20年ほど前まで排除を避けるため“クローゼットの中”で過ごすことを選んできた原住民の人口を抱える国で、社会に対する是正を行った。両アーティストは、劇場や美術館における規範的な表現をクィア化し、中心と周縁、また人間とカルチュラル・スペースの境界線を曖昧にすることで、芸術機関の社会的機能を問い質した。同時に、コミュニティーを巻き込むことが脱植民地化の研究の促進や実現を助けることを提唱したのである。

松本奈々子&アンチー・リン(チワス・タホス)『ねばねばの手、ぬわれた山々』(2024) Photo by Haruka Oka. Courtesy of Kyoto Experiment.

最近では、台湾原住民族タイヤル族のヴィジュアルアーティストであるアンチー・リン(タイヤル語名:チワス・タホス)と日本人振付家である松本奈々子の『ねばねばの手、ぬわれた山々』(2024)が、台湾と日本の間で、また異なる意味でのクィア化や脱植民地的な文化的対話を展開した⁵。作中では、山姥とテマハホイが演劇的文脈の中での出会いを果たす。山姥を体現するというアイデアは松本が継続的に行っているリサーチであり、日本の超自然的存在が、自身の振付における実践や文化的アイデンティティーについてどのようなことを明かすのかを再考する「妖怪ボディ」から派生した。植民地支配の歴史から、妖怪(標準中国語では「怪物」と訳される)は、台湾の一般社会において、入植者による漢民族中心の視点から捉えられてきた。しかし、台湾の原住民的文脈では、妖怪は怪物ではなく原住民の祖先の起源であるアニミズムにあたる。(超)自然的存在を怪物と見なすことと同様に、女の妖怪のほとんどが悪魔と見なされてきたこともまた植民地化の産物であり、そこから多層的な脱植民地化とクィア的思索が始まった。これは、チワスにとって妖怪への理解を通じて台湾を日本および漢との関係から、松本にとっては日本社会や教育の中で台湾の原住民族の歴史が語られないことからの、脱植民地化を意味する。こうして、二人は原住民的かつフェミニスト的アプローチを軸として作品を共同制作した。

このプロジェクトに関わる中で私自身、2020年代において、このようなクィア的、脱植民地的実践の緊急性がいかに高いかを改めて思い知らされた。

川口隆夫『バラ色ダンス 純粋性愛批判』(2023) Photo by bozzo.

日本のアートシーンで数少ないクィアな振付家/パフォーマーである川口隆夫⁶の『バラ色ダンス 純粋性愛批判』(2023)⁷は、ロームシアター京都、那覇文化芸術劇場なはーと、シアターXにて上演された。土方巽の代表作である『バラ色ダンスバラ色ダンス——A LA MAISON DE M. CIVEÇAWA(澁澤さんの家の方へ)』(1965)への彼のアプローチは、舞踏の台頭における(潜在的な)クィア性に目を向けるものである。

1959年、土方による『禁色』の発表は、土方と大野一雄による「暗黒舞踏/舞踊」として知られる舞踏の誕生を意味した。1960年代を通して、アンダーグラウンドな舞踏は、欧米化され、西洋中心的になった日本のダンスシーンに対して明確に反発するものであった。

政治的運動また文化的アクティビストの観点から捉えると、舞踏は、当時多くのアーティストが戦後の文脈と時代において、自己アイデンティティーの再発見と再生をいかに切実に求めていたかを象徴する。バレエや、欧米から押し付けられたいわゆる「モダンダンス」によって形作られた身体から離れ、その時代のダンスが日本人にとってどうあるべきかで、日本人の目にどう映るべきかを問いかけたのが舞踏である。結局のところ、川口は『バラ色ダンス 純粋性愛批判』の中で、今日のクィアダンスに対して同様の問いを投げかけているのだろうか? 舞踏は現在もクィア化されているのか? 今日の日本のダンスシーンにおいて、舞踏が当初持っていたクィア性と破壊性はどのように存在するのだろうか?

川口がパーティー、ゲーム、インタビュー、ライブストリーミング、ダンス、そして自身のオリジナル作品の一部再現を組み合わせた『バラ色ダンス 純粋性愛批判』は、“キャンプなガラ”と化した(川口は意識的に、スーザン・ソンタグの1964年のエッセイ「キャンプについてのノート」にある「キャンプ」という概念を通して解釈した)。体制からの脱却やその破壊を試みるこの作品のクィア性というのは、舞踏をクィアなダンスアートにすることではなく、現代の(コンテンポラリー)ダンスの実践と歴史を“再クィア化”させるものは何かを問うことにあるのかもしれない。

舞踏は世界的にいわゆる“日本の”ダンスアートを代表するものとして認識されているが、ベルリンのテクノシーンのように国の無形文化遺産のひとつとなっているのだろうか?⁸ あるいは西洋中心的なマーケットの影響下に置かれ続けるダンス界やダンサーたちの間で、舞踏はもはや「コンテンポラリー」ではなくなってしまったのか? 川口が作品を通してこれらの問いや、日本のコンテンポラリーダンスの課題や問題点における異性愛規範性について考察したように、私もそれらに異議を唱え、熟考していきたいと思う。

東アジアをはじめとするあらゆる地域において、コンテンポラリーダンスの概念や実践を「コンテンポラリー化/同時代化」し、「複雑化」させるために声を上げることは、切迫した問題であると私は考える。東アジアのダンスコミュニティーの中で今まで流行として当然のように受け入れられてきたものをクィア化し続け、クィアなダンスについて、地域内や国際的な場で、語り合う機会について再考していこう。

(日本語訳:清家愛)



▶︎ 英語原文はこちらから:「Let’s talk about Queer Dance in East Asia」


¹ プログラムサイト参照: https://indonesiandancefestival.id/en/event/the-mystical-gender-in-the-intersection-of-artistic-stage-and-daily-life/

² 参照:ジャック・ハルバースタム、ホセ・エステバン・ムニョス、デイヴィッド・L・エング、「イントロダクション」、『What’s Queer About Queer Studies Now?』、デューク大学出版、2005年、pp. 1-17

³ 参照:プルモドゥン・オクのインタビュー動画https://www.pbs.org/newshour/brief/314727/prumsodun-ok

⁴ 台湾大統領は2016年に初めて台湾原住民に対して謝罪をした。公式の報道内容は以下を参照:https://english.president.gov.tw/NEWS/4950#:~:text=To%20all%20indigenous%20peoples%20of,see%20no%20need%20to%20apologize

⁵ 本作はアジア太平洋地域のアーティストが出会い協働するためのプラットフォームである203年ADAM Artist Lab Artist Labの成果物として発表されたものである。また『ねばねばの手、ぬわれた山々』は、京都国際舞台芸術祭(Kyoto Experiment)、国際交流基金、台北表演芸術センターの共同委嘱・共同製作による作品であり、2024年の京都国際舞台芸術祭で初演された。

⁶ 参照: https://rohmtheatrekyoto.jp/event/103516/

⁷ アーティストとのインタビュー動画参照:
https://brooklynrail.org/2016/09/dance/copy-is-original-takao-kawaguchis-about-kazuo-ohno-reliving-the-butoh-divas-masterpieces/

⁸ 参照:https://www.dw.com/en/berlin-techno-on-germanys-intangible-cultural-heritage-list/a-68515354