共に在ること、共に感じること —— リヨン・ダンス・ビエンナーレ2025「FORUM」をめぐって ①
2025年のリヨン・ダンス・ビエンナーレで新たに立ち上げられた「FORUM」は、ヨーロッパ中心の制度や流通の外側にある実践に、どのように耳を澄ませ、共に思考する場をつくっていけるのかを問い直す試みであった。
ヨーロッパ以外の5つの地域——オーストラリア、ブラジル、モザンビーク、台湾、アメリカ——から招かれたキュレーターとアーティストたちは、完成された作品を見せることよりも、それぞれの土地・歴史・身体に根ざした実践を共有することを選び、5日間にわたってダンスをめぐる対話の場を多角的に編み上げていった。
そこで、「FORUM」の共同キュレーターの一人であり、全体のコーディネートも担ったアンジェラ・コンケとの対話を通じて、この実験的なプロジェクトが何を問い、どのような可能性をひらいたのかを改めて振り返る。フェスティバルやキュレーションのあり方のみならず、私たちが「コンテンポラリーダンス」と呼んできた枠組みそのものを、静かに、しかし確かに揺さぶっていく彼女の語りを、3回にわたってお届けする。
FORUMの出発点には、完成された作品を「提示する」よりも、作品の手前の何かを「共有する」という姿勢があった。連載の第1回では、その選択がどんな問いから立ち上がったのかを辿っていく。
取材・執筆・翻訳:呉宮百合香
■ フェスティバルにおける国際性とは —— ローカル性と普遍性
リヨン・ダンス・ビエンナーレは、フランス南東部リヨンで1984年に創設された、ヨーロッパを代表する国際的なダンス・フェスティバルの一つである。2022年、ギー・ダルメ、ドミニク・エルヴュに続く3代目芸術監督に、ポルトガル出身のティアゴ・ゲデスが就任。ビエンナーレを「探究と発見の場」と位置づけ、幅広い美学・形式・地域・年代を取り入れたプログラムを発信している。
— 「FORUM」立ち上げの経緯について教えてください。
このFORUMという企画は、リヨン・ダンス・ビエンナーレの現芸術監督であるティアゴ・ゲデスの発案で始まりました。自身のアーティスティックなビジョンを体現する中核企画として、芸術監督に立候補する時点から彼がすでに構想していたものなのです。最終的に関わることになった5人のキュレーターのうち、私とナイセ・ロペスはその頃から意見交換に加わり、やり取りを重ねていました。
正式就任後、彼はこの企画を旗艦プロジェクトに据えました。おそらく彼は、ビエンナーレの「インターナショナリズム(国際主義)」を別の形で考えたかったのだと思います。リヨン・ダンス・ビエンナーレはフランスの中でも歴史あるフェスティバルで、国際性を常に謳ってきました。でも、特にヨーロッパにおいて、「インターナショナル」は何を意味するのでしょう? フランス国外の作品をすべてインターナショナルとみなすのはある意味とても簡単ですが、本当にそうなのか? この企画を通じてティアゴが考えようとしていたのは、パフォーミングアーツの経済やアーティストとの関係が、ヨーロッパが育んできた方式とは別の在り方で成り立つ可能性だったのではないかと、私は捉えています。
私たちゲスト・キュレーターにとっては、まさに「カルト・ブランシュ(白紙委任)」と言えるものでした。ヨーロッパ圏外からキュレーターを招くという大きな方針が先にあり、その上で各キュレーターに「あなたが活動している地域にとって本質的で不可欠なアーティストを選んでほしい」と共通の条件が示されたんです。だから最初に立ち上がったのは「どんなアーティストであれば、非ヨーロッパ地域に特有の何かをもたらすことができるか?」「このビエンナーレという文脈の中では何が意味を持ち得て、どうすればそれを良い形で実現できるのか?」という問いでした。
この観点からそれぞれが選定したら、事前に足並みを合わせたわけではないのに、結果として驚くほどの共通点のあるアーティストが集まりました。それは、彼/彼女たちのアプローチがきわめてローカルなもの――つまり、自分たちがどの土地から来ているのか、その地域が抱える課題は何か――に根ざしているという点でした。当然ながら、そこには気候危機の切迫性も含まれていますし、「植民地主義の現実を背負う土地で生きるとはどういうことなのか」「奪われた土地や、いまだに争われている土地の上で生きるとはどういうことなのか」といった問いもあります。
また単純に、これまでとはまったく異なるやり方で制作したり、上演自体を別の形で捉えたりするアーティストたちがいる、ということでもありました。それは、活動を支えるインフラが、いわゆる「グローバル・ノース」におけるそれと違うからかもしれないし、ダンスという行為自体がもとよりまったく別の役割を担っているからかもしれません。それは儀礼かもしれないし、生き延びるための技術なのかもしれない。私たちがつい抱いてしまうヨーロッパ的な「キャリアを築く」発想とは異なるかたちで、生活の一部としてダンスが存在しているのです。つまりそれは、振付(コレオグラフィ)を純粋芸術として抽象的に語る思考や言説とは、まったく異なる次元にある実践だということです。具体的な切実な問いがあるからこそ、特定の土地や状況に深く根差した主体性から出発していながらも、同時に普遍的な力を持ち得たのでしょう。
FORUMの構想を進め、そのあり方を思い描いていくなかで、私たちは「交流(エクスチェンジ)」という言葉が本来何を意味しているのかを、あらためて考えるようになりました。「エクスチェンジ」という言葉は、ともすると取引のような関係——「私はこれを与える、あなたはそれを返す」という等価交換——を想起させてしまうからです。それに対して私たちが目指していたのは、何かを返すことを求められない「共有(シェア)」でした。アーティストたちの実践そのものをひらき、観客がそれに出会い、発見していくための場をつくること。それがFORUMの目指した形だったのです。
© Elyes Esserhane
■ 身体を通して世界を考えるために —— 「作品」だけではないダンスの在り方
FORUMには、舞台作品の上演は一つもない。「対話」「挑発」「参加型実践」「芸術的提案」という4軸のもと、Movement invitationsと称した身体を動かす実践や、トーク、インスタレーション展示など、上演にとどまらない多様な形式のプログラムが展開された。
— 私が特に心を動かされたのは、「作品」ではなく身体的な「実践」そのものが中心に置かれていた点でした。
そうですね。ヨーロッパにおいては、作品をどこか「スペクタクル」として、つまり「これが上演です、どうぞ観に来てください」という形で捉え、その場こそが観客との出会いだと考えてきた部分があると思います。しかし今回、FORUMにおいて明確に重視していたのは、まさに、アーティストの実践は必ずしも作品や上演という形をとる必要はないということでした。もちろん、今回参加したアーティストたちは全員、作品を上演することもできたはずです。しかし私たちが関心を向けていたのは、作品の手前にあるもの、つまり「何が作品の内容や方向性を形作っているのか」という点でした。それはまさに、彼らが「どんな場所から来ているのか」ということです。
これを語るには、英語の「place」という語が最も適していると思います。単なる地理的なロケーションというだけでなく、実体として存在する土地——それは文化であり、拠り所であり、生き方を導く力でもあります。ダンスは、これらplaceのすべてが表に現れた一つのかたちにすぎません。
「私はダンスをしているけれど、それは自分がどこから来たかとは関係ない」と言うことは、ヨーロッパでは可能かもしれません。世界市民的で、どこにも固定されないアイデンティティを理想とするビジョンとも相性が良いでしょう。ただ一方で、そうしたアプローチは、時にどこか植民地主義的な傾向を帯びてしまうことがあります。つまり、別の歴史や別の語り方を排除してしまう可能性があるのです。
今回参加した5人のアーティストたちは、身体とそれが根ざす土地との結びつきを、それぞれの場所から語っていました。私たちにとって重要だったのは、そうした問いを身体と言葉の両面で提示することでした。だからこそ、身体感覚をひらくような参加型の体験も数多く取り入れました。「誰もが身体を通して世界を考えることができる」ということを示したかったのです。ヨーロッパで培われてきたコンセプチュアルで抽象的な振付構成や、空間や時間の扱い方もとても魅力的なものですが、ここではそれとは別のアプローチ、すなわち身体が日常の中で何をして、何を語っているのかを、別の仕方で想像しようとしていました。
ですから、ここで扱っていたのは「振付」だけではありません。ダンスは音楽であり、語りであり、先祖伝来の知でもあります。たとえば先住民のアーティストたちの実践は、彼らが属するコミュニティや、植民地主義の歴史、現在も続く土地の搾取や破壊と切り離して語ることはできません。何千年も前からその土地に存在してきた文化が十分に認識されてこなかったことは、「ダンスとは何か」という問いそのものにも関わってくると思います。
ヨーロッパにおいては、ダンスというものが非常にヨーロッパ中心的な枠組みの中で理解されてきた側面があります。一方、他の文化的文脈に目を向けると、音楽やダンス、語り、コミュニティといった要素が今なお分かち難く一体で存在しています。そうした総体を、FORUMという場に持ち込んでみたかった。そして何よりも、それを一連の「招待」として構成したかったのです。
▶︎ 【第2回に続く】
【連載】
共に在ること、共に感じること —— リヨン・ダンス・ビエンナーレ2025「FORUM」をめぐって
第1回
– フェスティバルにおける国際性とは —— ローカル性と普遍性
– 身体を通して世界を考えるために —— 「作品」だけではないダンスの在り方
第2回
– 関係性のキュレーション —— アーティスト間の関係、観客との関係
– 言語が映し出す、別の思考、想像力、身体感覚
– 「共に感じる時間」が立ち上がったオープニング
第3回
– ホスピタリティに含まれる寛大さと緊張
– 「何をコンテンポラリーダンスと呼んでいるのか?」
– 螺旋を描きながら問い続ける —— キュレーションの権力と責任
▶︎ English version available here:
Being together, sensing together: on FORUM at the Biennale de la danse de Lyon 2025
