ヨコハマダンスコレクション2025 サイド企画『Dance meets dance2』を振り返る

2026.03.27


本企画のキュレーターを務めたAokidさんによる振り返りをおどりよむで掲載!

「ダンスの現在地」に沿うような形で行われた今回の取り組み。実際の内容や感触を深堀りしていきます。

Photo:原口ハルカ

2025年11月、12月の3週にわたって横浜の赤レンガ倉庫を中心に開催されたヨコハマダンスコレクション2025のサイドプログラムをキュレーションしました。(2024年は振付家の上村なおかさんと2人で行いました。)
それについて振り返ってみたいと思います。

このダンコレの3週間はYPAM(横浜国際舞台芸術ミーティング)と同時開催で、一般の観客だけでなく国内外の様々な舞台芸術関係者のネットワークとしても機能するように実施されました。
上演を中心としたダンコレのメインプログラムに並走する形で、この30年以上続くフェスティバルのプラットフォーム的な側面にアプローチする方法をサイドプログラムとして考えました。
毎年行われるメインプログラムの中でも若手振付家の登竜門としての役割を果たしているコンペティションシリーズに参加した受賞作家たちのバリエーションを見ても、日本における“コンテンポラリーダンスシーン”という小さなジャンルでありながら、見渡すと全く違う方法ややり方でそれぞれがそれぞれの取り組みを“ダンス”と言い合うような状況があることがわかり、多様なダンサーや作家、プレイヤーがいることから一度それを“雑種性”というコンセプトとして立てて、プログラムを組んでいきました。

(昨年は上村なおかさんと2日間、コンペティションⅠの上演前後に行う形で、コンパクトな制限の中、世代を越えたラインナップでパフォーマンスセッション、ショーイング、トーク、ワークショップといった取り組みを、過去のダンコレの写真を空間に展示した中で実施し、ダンコレのアーカイブの側面に注目するようなプログラムをキュレーションしました。)
昨年よりもスケジュールに余裕もあったため、告知期間こそギリギリになってしまったものの多くの人に参加してもらうことができたというのが印象としてあります。雑感ですが近年、ほとんど東京や横浜では上演やワークショップのイベントがあり終わるとすぐ離散してしまうような、複数の時間や場所が連携し合っているような規模のものが少なくなっていく印象で、それも一端となりネットワークが希薄化していくような、、、今回は久しぶりにそういったYPAMとダンコレの慌ただしい横浜を行き交う人たちがクロッシングするような光景であったようにも思います。

ではプログラムを振り返ってみたいと思います。

Photo:Sugawara Kota

『ラウンジミニコンサート』

コンペティションⅠの2日目、終演後から表彰式までの時間に、ホワイエを使っての開催。昨年の反省から、緊張感のあるコンペティションとの差を作ろうと“パフォーマンス”ではなく“コンサート”という形であればゆるやかに舞台とは違うオルタナティブを楽しんで鑑賞してもらえるのでは、という意図で企画しました。
“ゆるやかな形”を目指して始めたものの、すっかりコンペティションのパフォーマンスに感化されてしまった村上裕さんを筆頭にコンサートの形はすぐに崩れ“パフォーマンス”となり、カオスさを増しながら控えめにいた端っこのお客さんたちを巻き込むような形で展開していきました。
すでに緊張感のあるコンペティションのパフォーマンスのすぐ後で、しかも決して見やすい状況の設えもない中で、残った数人の観客の方にとっては別の形での“ダンス”などを体験できる“尊い”体験として刻まれた、という感想などをいただきました。
このプログラムを支えてくれたのは劇場やそれ以外でも様々な形や洗練された技術や知性によってダンスや音楽で応答し続けるダンサーの藤村港平さん、そして百戦錬磨に様々なインディペンデントな企画を立ち上げるタップダンサーの米澤一平さん、さらにカオスで危険なしかし真っ直ぐでストレートな表現のアーティスト村上裕さんに参加してもらいました。

パフォーマー:藤村港平、米澤一平、村上裕

Photo:原口ハルカ

『ぶっかけ本番のためのぶっつけ創作』

康本雅子さんとの実験的なプログラム。
来年度から横浜赤レンガ倉庫1号館の振付家として活動がスタートする康本雅子さんが来年に向けて考えているプランがあるということで、ぜひ来年に向けての実験の場として実施をお願いしました。
タイトルや説明文からしても全くどうなるかわからないところから、集まった人たちで話し合い、始まり、上演までに至るというものでした。
ふたを開けてみれば、やはり参加した人たちの動機やモチベーションもばらばらだったように思います。結果として最初にイメージしたようなものとは違ったものに辿り着いたかもしれませんが、よくあるようなワークショップを終えた後で参加者達がその振付家に染まるというよりは、皆さんが来た時と帰る時と同じ人として帰っていくような印象を持ちました。
話す時間もたくさん出てきましたが、一方で積極的に体を動かすワークも行いました。床を這うような地面に近いワークや、一対一でおまじないをかけ合おうと試みる、など。何かダンスのテクニックというよりも、互いがどう関わり合うか、でもじっくり身体は思考とともに疲れている、みたいな取り組みになっていったように記憶しています。
初めて会う人も多い中、そのやりとりは自由度も高かったためか、また相手に対して力を尽くすというような取り組みのあり方だったためか、映画『ファイトクラブ』のような印象があとに残りました。
結果、時間の最後で上演という形は迎えませんでしたが、来年以降の展開も気になるところです。

企画:康本雅子
プログラムサポート:原口ハルカ

Photo:原口ハルカ

『How to dance?を覗き合う。振付家の方法交換WS』

若手〜中堅世代の振付家3名に連続してワークショップを行なってもらいました。普段であればそれぞれで実施し、それに興味のある人が受講するという入り口と出口が良くも悪くも構造上、想定できるのがワークショップだと思います。
しかし今回、別の振付家のワークショップを連続して半強制的に受けることで、興味の違う人たちが集まったり、あるいはなかなか作品などで共演することも少ない振付家同士が身体を通して何かフィードバックし合うような状況が作れないかと思い企画しました。

まずそれぞれ振付家に今日のメニューを聞くところから始め順番を決め、そして1時間ずつのワークを途中小休憩を挟みながら行なっていきました。

相談の上、ウォームアップにもなりそうということで横山彰乃さんのワークを1番とし、2番目に敷地理さん、そして3番目に女屋理音さんという順番になりました。
赤レンガ倉庫の2階は外光の差し込む空間で、昼すぎに始めた明るさが最終的には夕方の暗さの中で女屋さんのワークへ辿り着きました。
横山さんのワークはかなり微細な状態移動というかアイソレーションのようなものへの触り。そして敷地さんはまず自分が活動や作品制作の中で大事にしている認識の部分での共有を行なったのちに振付に入っていく流れ。そして女屋さんは身体を見つめるところから空間全体に広がっていく、という全体のバランスでした。
各振付家の提案ごとにそれぞれの振付家のフィードバックや指摘があったり、全く違うワークに導入で戸惑う参加者もいたり、時間の経過とともに慣れていったり、何かアーティストトークとワークショップの間にあるような4時間だったと思います。
前日の康本さん達と過ごした時間とは違う手応えを持って終えた感じがあります。今後も色んな形で、このような振付家同士のやりとりの可能性が増えていくんじゃないか、またそういったことを企画していけないか、と思っています。

講師:女屋理音、敷地理、横山彰乃
プログラムサポート:原口ハルカ

ダンストーク『〜現在ダンスを書く、語るの見地から〜』

最近、自分の活動する周りでこれまでにないような流れで“書くこと、言うこと、話すこと”をそれぞれのやり方で行い、“ダンス”に関わっていく人たちが現れているというのがあり、それぞれに活動しながらも互いにはなかなか交差することのないプレイヤー達に集まっていただき、それぞれの仕事を紹介してもらいました。

慶應義塾大学などでダンスの講義を持つ宮下寛司さんは、ドイツの演劇研究から始まり、ダンス批評をどのような見地から始め、現在日本で批評活動をする際、どこに立脚しているのかを歴史と照らし合わせながら具体的に事例として示すというプレゼンテーションがありました。これは何かシーンにとっても心強く、何度も確認したいような頼りになるものと感じられました。

そしてその次に話をされたのは白尾芽さん。現在出版社で働きながら、元々は東京藝術大学でアーティストとしての制作をしていて、その時に制作していた(美術の制作を通して“ダンスをする”みたいなアプローチにならないか、というようなコンセプトだったかと、、)作品のスライドや、美術からダンスに出会っていった話、「どうぶつえん」(Aokidが主催する代々木公園などで展開されるパフォーマンスのイベント)に出演した際の実践、あるいは頼まれて書くことと頼まれないでも書くことについて。
制作者も経験した上にある独自の実践方法が印象的で、その上での今後の動向が気になるプレゼンでした。

途中に休憩を5分ほど挟み、萩庭真さんは、2025年に始め1年間を通してワイキキスタジオで開催していた「ダンスの門前」という、ゲストを呼んでの連続トークシリーズで出発点になっている“2010年前後の日本のコンテンポラリーダンスが盛り上がりを見せた”と言われるその年代と比べ現代はどうなっているのか?という明確な問題定義に基づいたスタンス、それに関するトークでした。
その自身のトーク「ダンスの門前」でも活用している縦横軸のグラフを頼りに、改めてこの日集まった人たちに向けて、現在の日本のコンテンポラリーダンスが対処療法のように取り組んでいる活動に思えることへのツッコミなど、切り込んだ話をしていきました。

渋革まろんさんは演劇から出発し、ダンスやパフォーマンスアート、様々なものをポストコロニアルという切り口で、広く批評し見ていくことで切り拓いている地平についての話。
何十ページにもわたるスライドをぎりぎり時間を走り切るようにして語りきっていました。その独自の論の組み立て方や開拓のあり方というのが独立した質量を感じられるものだと思いました。


→ 4者のトークを終えて少しだけ観客からの質問を受け付けるとそれで終わってしまい、ほとんどクロストークの時間を設けることができませんでした。
あまりに不完全燃焼ということでトークの時間が終わった後も、有志で立ち話で続きを続けましょう、という提案が萩庭さんの方からあり、そこで10人くらいで集まって話をロビーの隅で続けたのもよかったです。
また「舞台の謎」というネット上でのレビューを続ける児玉初穂さんがこのイベントへのリアクションをくれたり、登壇者の数人が参考にされていた本の著者木村覚さんもいらしていました。
何か話したい人、色んな関わり方を持ちたい人が改めてたくさんいるんだということを感じられる機会となったと思います。

登壇者:渋革まろん、白尾芽、萩庭真、宮下寛司

Photo:原口ハルカ

ダンストーク『〜見ようとしている景色から〜』

それぞれのスタンスで日本や海外でのダンス活動を行う4組の振付家に登壇してもらいました。
下島礼紗さんによる自分史としての強烈なダンサートークを皮切りに、続く敷地理さんは何も用意のないところから下島さんに質問する形でトークを展開させていきました。そこから自分の活動やYPAMで発表予定の作品についての話へ移り、チープロ、asamicro、僕や客席も巻き込みフリートークの時間が有機的に生まれていきました。
そこで出たトピックはたとえば、カンパニーとソロ、コレクティブ、それぞれで活動する際の比較、あるいは2人という単位。そしてasamicroさんに対して、ストリートとコンテンポラリーの違いを問いたり、フランスやヨーロッパ、アジアと日本での作品を上演するだけでなく、リサーチなどの段階で対峙することになる“植民地また被植民地の関係性”ということについてアーティストがどのように関わるか、などを含めた話にまで展開していきました。

全体で2時間10分ほどのボリューミーなトークでした。が、クロストークを含めると4組だとあと1時間くらいは必要だったのかもしれません。
この様子はYouTubeにアップできないかと検討中です。
振付家トークにも若いダンサーや、プロデューサー、海外で活動する方やこれだけを聞きに来た人、ダンス愛好家の方など、知っている範囲でも様々な人が参加しに来てくれました。

登壇者:asamicro、敷地理、下島礼紗、チーム・チープロ


普段、それぞれが個別に動いている振付家、批評家、制作、観客などが交わる時間や機会はそれほど多くなく、そういった意味では昨年よりも多くの時間やスペースを共有した感じが参加者含めあったと思います。
それがすぐ直接何かに結びつくわけでもないですが、昨今、SNSの発展によってコミュニケーションの多くはSNSに依存する形で互いをフォローはするものの、実際のやりとりをする時間は少ない中で、このような時間ややりとりはコミュニティを確認する側面もあると思いました。
経済的には遠回りの可能性もありますが、たえず人と人がアイディアを交換したり何か実践したり、始めたダンスを続けられる場所があったり、その可能性自体を探せるようなことがあり続けるにはどのようにしていけばいいのか。
この芸術文化自体が答えのないところで形を探し続けるという側面があるように、このコミュニティのあり方の形もたえず集まった人たちの手で動かし、形を変え続けられるような仕組みを作ることができないか、というようなことを考えました。
また昨年、ヨコハマダンスコレクション2024についての長いエッセイを同じく「おどりよむ」に寄稿しました。(※参照1)
そこで最後に触れたことについての一つの応答のようなものが、「おどりよむ」に掲載されている「共に在ること、共に感じること —— リヨン・ダンス・ビエンナーレ2025「FORUM」をめぐって」(※参照2)に見られたような気がします。広く“コンテンポラリーダンス”などを見渡した時にダンコレがどの部分を担うか、にもよりますし、日本とヨーロッパでも全く文化も状況も人も違う、という上でのアイディアを引き続き触発されながら探していきたいと思います。


参照1:投稿日2025.02.22「身体のローカリティーここから」
参照2:投稿日2026.01.22「共に在ること、共に感じること —— リヨン・ダンス・ビエンナーレ2025「FORUM」をめぐって」(①-③に分かれて掲載しております。)